· 

『古事記』との決定的な違い/ほつまの世界02 もぎせかチャンネル



『古事記』との決定的な違い/ほつまの世界02

もぎせかチャンネル

 

チャンネル登録者数 14.8万人

チャンネル登録

<__slot-el>

2851

共有

保存

6.2万 回視聴 1 か月前

『検証ほつまつたゑ』編集人・原田峰虎さん(とらさん)

https://www.facebook.com/torasan3776/...

https://www.instagram.com/torasan223/ …

...もっと見る

175 件のコメント

並べ替え

コメントする...

@MACHINAGA1968

1 か月前

ホツマツタエの都鳥を模して例えた国家のあり様を見れば、すでに立派な国作りがなされてたのが本当によく分かりますます。茂木先生ありがとうございます。

27

返信

@USER-IX1QS9PI2G

1 か月前

古事記との比定が面白い、ホツマツタエが縄文から続く正統な歴史に思えてきた。次回も楽しみ

57

返信

4 件の返信

@USER-NO1KC1CN2K

1 か月前

ふんどしの友人は、しきりに私に「ほつまつたえ」を学べと勧めてくれてましたが、今回の動画でその意味が理解できました。

なるほど。やはり日本は本当に太古の昔から人が住み、文化を持ち、自然を崇め信仰し、時代が下るにつれやはり人族らしく戦をし領地を納め、この時代につながってきたのだなと思いを馳せました。

古きを温って新しきを知ることの重要性は、その根源の哲学的な魂を受け継ぎ、変わりゆく世界に翻弄されない事に繋がるのだろうなとひと歳とって強く感じます。次回も楽しみです。

続きを読む

24

返信

@USER-OQ1ON4VX6C

1 か月前

すごい!TOLANDVLOGとも絡めて見るとおもろいです…!!

天孫族や朝廷…。東北民としてはついつい引いた眼で見ちゃいそうになるけど、

古代のことだし、「思いやれる人々同士でみんなで仲良く」が日本だと信じて

クニヅクリ、今度こそ本当に成し遂げられたらいいな

続きを読む

14

返信

@YAMATOSAKURA6319

1 か月前

YouTubeができたおかげで、こんなに素晴らしい動画が無料で見れることに感謝です。先生の動画は、高い専門性だけでなく、内容的なエンタメ度も抜群です。ホツマツタエ、神代文字、縄文の王権の物語と、歴史のロマンが広がりますね!カナ以前は文字がなかった、というのは俄に納得できないですよね。日本にはペトログリフなんかも結構見つかってるみたいですし。確実に音はあったはずで、日本人の先祖がそれを形にしなかったはずはないと思いました。天照大神が男神だった、というのは、竹内むっちゃん先生もおっしゃってたと記憶してます。竹内文書と共通な点がどのぐらいあるのか興味深いですね。ホツマツタエに関してこのような説明を聞いたことがなかったので、とてもワクワクしました。次回を楽しみにしております。

続きを読む

20

返信

@USER-ZB1CI6FW3W

1 か月前

配信ありがとうございます。秀真伝をこんなに詳しく解説していただけて嬉しいです。秀真の世界は縄文時代を色濃く感じ、ワクワクします。

茂木先生と秀真伝を一緒に学べるなんて、、、最高です!

26

返信

4 件の返信

@USER-MD2RT3MZ1E

1 か月前

ほつまの存在を、今回初めて知りました!

非常に興味深いです

「古代日本には文字は無く、中国から漢字が入ってきた」と習ったような記憶がありますが、決してそうではないのですね!

次回も楽しみです

続きを読む

12

返信

1 件の返信

@YASUSHIFUKAI4212

1 か月前

組織的に構築された政治機構になる前の、属人性の高い日本の統治=シラスのシステムが見えてきて、心おどるお話ですね。我が国の正しい建国史観を再構築するために、記紀に要約取捨選択される前の、このような「実話」に迫って行く必要も感じます。

12

返信

@USER-HI9MW5XH3Q

1 か月前

次も楽しみ。秀真好きだなぁ縄文の優しさを感じます

10

返信

@MIZUKIS-UO7OI

1 か月前

中央構造線、四国、巨石、滝行、、茂木先生の好奇心の旅に同行させていただいているようで、いつもワクワクしています。配信ありがとうございます。

神谷さんのCGSで、アヤ毎の大まかな解説を参考にしながらホツマツタエ読みましたが、古事記と頭の中で分けるのも楽しい作業でした。

今回の配信を機に、久しぶりにホツマツタエを本棚から出しました。虎さんの解説も楽しみにしています。

続きを読む

14

返信

@SN-DO8UJ

1 か月前

古代の各地にある痕跡と、神話の内容がリンクする箇所があると面白いですね。

ホツマの内容は知らなかったので、とてもありがたい対談です。

8

返信

@USER-JO4NG3FW3O

1 か月前

いつもわくわく楽しいお話ありがとうございます古事記も日本書紀もホツマも詳しく知らない私ですが、日本の国造り、国譲りの歴史そして権威にまとまる民の生活を一番大切にしてきた日本の素晴らしさに氣づきました。家宝と同じく国宝も侵されないように守るべく方法が昔からあったのでしょうね。日本の神神に氣が向く時に真の生き方に導かれるような氣がします。

13

返信

@ITACHI-CZ7HO

1 か月前

茂木先生とホツマツタエを学べるなんて最高です

次の動画の神代文字(ヲシテ文字?)も興味津々、楽しみです。

この不調和な世界が続く今こそ、ホツマツタエを読み解く意義があるのかも知れませんね。

6

返信

@AKI3912

1 か月前

動画ありがとうございます。正直言って基本がわかってない部分もありましたので、混乱しましたが大変楽しく視聴しました。次回の動画も楽しみです。

5

返信

@ALAINDELON8737

1 か月前

時系列とか混乱するけど、古すぎて面白い。

4

返信

@SISESISEO34

1 か月前

大国主命というのは記紀を編纂するにあたり作られた呼び方だとどこかで読みました。その他の古史古伝や風土記や出雲国風土記にすら出てこないそうです。記紀の系譜も改竄されているとすると、当てはめようとしても混乱します。

ホツマツタエの文字が正多面体にも対応していて、昔の人の知識に驚きます。次回も楽しみです!!

4

返信

@USER-QZ3RL1IT9N

3 週間前

ホツマツタエは本当に文献としてとても面白い。茂木先生のチャンネルでホツマに触れるとは思っていなかったので、嬉しい☆

1

返信

1 件の返信

@USER-ON3JP3WD6N

1 か月前

私の場合は今村聡夫著「はじめてのホツマツタエ」で勉強しました。分かりやすい本でお勧めです。

ホツマの研究をしている人は多くおられ、内容の解釈は諸説あります。

19

返信

@RUBYSAYO9392

1 か月前

母方のお祖母様は、ご先祖は熊襲だと言っておられ戦争の時全てが燃えてしまって何も残らなくなったが、日向出身で私が小さな時に、色んな話を聞いて育ちました。とても興味深く視聴させて頂いています️

4

返信

@NICIZAVVA

1 か月前

日本には文字がなかったと言う定説を覆すのか、何が書かれているのか、ワクワクします。

3

返信

1 件の返信

@AN-OZ5IB

1 か月前

ホツマツタエ読みました。古事記との違いも面白いですが、五七調の美しい叙事詩でした。特に興味深かったのは、中臣大祓の不明だった背景のストーリーが書いてあったことです。

9

返信

@USER-NW7TU8FU9U

1 か月前

人類は80年しか経ていない先の大戦の記録を正確に伝えられないのに、

縄文に記録されたものは正確で真実であると思ってしまう。

珍妙な生き物ですなぁ

8

返信

@YOPPE18

1 か月前

ほんの少しだけホツマツタエかじりました。池田満氏の本からですが。

こちらのお話聞いて津軽に国が云々とありましたが、ふと三内丸山遺跡が頭に浮かびました。

縮尺というかある一定の単位で作られた大規模な建物を作る技術を持ち、都市と言っても良い大集落を運営。

黒曜石をめぐり信州辺りと交易しており、オホーツクあたりの物品も出土しておるので貿易の一大拠点でもあった。

そういった事からも「クニ」とも言える組織が展開されていたと考えるのは不思議ではないです。

今回の動画を拝見してそんな事を妄想しました。

またお話お聞かせください。

ありがとうございました。

続きを読む

30

返信

@USER-UB7TV7EP2K

1 か月前

もう一つの古事記。ホツマツタヱ。日本史を別角度から見れるのが良くわかり、研究したい分野だと思いました。比較歴史にもってこいの文書ですね。令和の本居宣長が出てきそうですね。

3

返信

@GOETHEFAUSTUS

1 か月前

動画UPありがとうございます。とても興味深く視聴いたしました。

古事記・日本書紀で敢えて語られていない部分(歴史・物語の空白部分)が気になっておりました。

GHQ等の、日本正史を葬ろうとする勢力に把握されることなく(推測ですが)、今日残っているのは、使用されている文字のためもあるものの、奇跡ですね。

LGBT法成立もあり、現在および今後の言語空間が危惧されますので、なるべく早い時期に古事記・日本書紀の補完版のような形で出版されることを期待しております。

続きを読む

16

返信

@FUSSANOEL2024

1 か月前

1~4まで 一度見て、今 二度目の 拝見です。

今回 二回目は 敢えて動画を見ずに、 お二人の話だけ 言葉だけ聞いています。

流れは分かっているので、耳に 全神経を集中して 聞いています。

一度目より より理解出来ました。 面白いです!

Toland Vlog と Tolandの小部屋 も 好きで見ているので、

古史古伝 の 話 面白いし 大好きです。

.

続きを読む

3

返信

1 件の返信

@CHANT-SV7YJ

1 か月前

いつも配信ありがとうございますおはようございます。

ヲシテ文字 解読されて…まことのまことを伝えるなんですね。「ホツマ」は縄文時代から山の民、海の民が居てそれぞれ共通の言葉だったんですか。ゆっくり視聴させて頂きます。

6

返信

@USER-NE2XJ2IJ7K

1 か月前

内容の違う 二つの物語。どちらが真実?とか考えない方が楽しい気がする。

14

返信

@HAKUBYAKUDAN

1 か月前

ホツマツタヱの研究専門同人誌の編集長でいらっしゃるトラさんですね

いつか滝行に伺いたく思います️

6

返信

2 件の返信

@ALCOIRIS_YU

1 か月前

ホツマツタヱは学校で必修にしてほしいくらいです。

そうなるように自分でもがんばって勉強します。

7

返信

@KAKOCHAN8622

1 か月前

難しい箇所は何度も戻って聞き直しましたが、混乱しています!ですが、興味深くて楽しいです!

伊勢神宮の内宮外宮はおかしい…と思っていましたが、ホツマの説明だと納得がいきます。アマテルは男性神だし、トヨウケは外祖父であると。

津軽のお話も出て来ましたが、古代の東北には大きなくに、文化圏があったのでしょう!

まだ混乱中ですが、少しずつホツマについて学んでみたいと思います。

本当に楽しくて、朝から何も手につかず動画を拝聴いたしました。ありがとうございます

続きを読む

10

返信

@USER-SM2IG6UB7L

1 か月前

『勿来の関』という言葉が出てきたので、驚きました。

ホツマツタヱについて殆ど知らなかったので、良い気付きでした。

ありがとうございます。

2

返信

1 件の返信

@MASAAKI-ITO

1 か月前

これは情報が多すぎて、記紀とほつまを比較して図表にしないと理解できない〜〜〜でも、めちゃめちゃ興味深い。

4

返信

@NOBORUTAKENAKA2305

1 か月前

私の地元朝倉の昔は三輪町と言ってましたが、そこにおおなむちじんじゃ通称おんがさま、という神社があり、奈良の大三輪神社の周辺の地名と非常に似通っています。

19

返信

@PICA-PYAN

1 か月前(編集済み)

とら先生誠先生

ほつま講座 ありがとうございます

個人覚え書き️

内宮アマテル アマテラスでなく

外宮トヨウケ 男性 イザナミの父

3つのつぼ 大きな古い都 ①おきつぼ 琵琶湖畔 ②はらみのつぼ 富士山麓

③けたつぼ 東北

16:40

国常立尊 初代

️縄文 中期️

おぉ~

官職 職名 トップ大物主 オオモノヌシ

副 事代主 コトシロヌシ

官僚 物部モノノベ 軍事 地域裁判

*祖父スサノオ父オオナムチ(大物主)出雲

️息子クシヒコ(官職 コトシロヌシ)️→のちに 官職 大物主になる

*オオクニヌシは出てこない (オオクニタマ オコノヌシ)

*富士のお宮 と のかみ 天照もきた 次ニニキネ の子孫代々 はらの宮 ケイコウ天皇まで栄えていた

*天孫降臨は? 琵琶湖説

天から宇宙の天界から降り立った *渡来人は表記なし

驚きの連続でしたが なんかしっくりくる 不思議

対話形式ですと大変わかりやすいです

このシリーズ 神バズりますね

両先生のご縁に大感謝

続きを読む

17

返信

2 件の返信

@USER-KF6OC1SI7T

1 か月前

高床式建物は縄文からですよ。4千年前にはあったとされています。富山県の桜町遺跡からホゾ穴の建材が出ています。木材は残りにくく、遺跡から出る事はほとんどありません。たった一つの遺跡の発見が、高床の発祥を2千年遡らせたのです。ですからもっと前からあったのかもしれませんね。

ただ、ホツマツタヱの「ムロヤ」は、高床式ではなく、竪穴住居ではないかと? 「穴に住まいて人ならず」の穴とは竪穴ではなく、洞穴を指しているのではないでしょうか。

続きを読む

20

返信

·

4 件の返信

@USER-HW2KH4GZ5I

1 か月前(編集済み)

興味深い話題ありがとうございました。「ほつま」文書が古いのだということが強調されすぎていた気がして、あまり興味がなかったのですが、本日の話は大変に興味深いです。天照大神が男神だと言い切られたあたりから身を入れて聞きました。日本書紀も古事記もだいたい同じようなグループの中での勝ち組負け組の主張を書いたものだろうという気はありました。仏教の人たちが勉強したということは修験道の世界で語り継がれてきたのですね。すいません、茂木先生のそこら辺の動画は拝見できていません。伝承を秘密の文字で書き残すというのは、「らしい」ですね。それは別として、今日の話が在ると、何で神武天皇が関西にすでに天降りた仲間がいて、それを証明できる品物をお持ちになっていたかの話も具体性を帯びてきました。そもそも、何で九州の片田舎に居られた神武天皇が奈良を目指したのかは不思議でした。それと、「鉄」の話が出ていませんでしたが、神武天皇の御代以前ですと、鉄の生産が権力の原泉だったと思います。朝鮮半島との関わりは主に製鉄関連だった印象があります。そこら辺はどうなのでしょうか。すいません、自身で調べればよいのでしょうが、残り少ない自分の時間は別の目的のために使っているので、教えて教えてになってしまいます。蛇足ですが、「天下る」という所は現実的に船に乗ってやって来たとかんがえるべきでしょう。すでによく知られていることですが、弥生時代には入れ墨文化がありましたが、それの在る地方と無い地方に明確に分かれています。入れ墨文化はポリネシアの方でもつい最近まで在ったもので、そもそもポリネシア人の故郷は台湾に在ると言うので、海洋文化というか台湾にいた人たちの文化であったようです。そこら辺の話が説明されると面白いですね。今はポリネシア関連のことに入れ込んでいるものですから。(追)天皇家は入れ墨なしの文化の流れにあられるようです。

続きを読む

5

返信

4 件の返信

@KIKUMI413

1 か月前

記紀を学ばれていると、混乱しますが、ホツマの原文読むと、深く心にしみます。

7

返信

@USER-JM2QH9BI2S

1 か月前(編集済み)

ホツマを伝世したとされる三尾氏は、彦坐王を祖とする血縁的・地縁的集団と近しい関係にあったので、その集団(もう一つの王族といえます)の歴史観が投影されていると推測します。そして記紀では語られていない、東国の歴史を含んでいるように感じました。

東国の歴史。たとえば山代の椿井大塚山古墳から出土した銅鏡は、東国の古墳からも同笵鏡がでていて、ヤマトタケル東征以前に東国に影響力もった謎の氏族が山代にいたことがわかっています。ホツマになにか手掛かりがあるかもしれません。わくわくしますね。これからホツマを読みたいと思います

続きを読む

6

返信

·

2 件の返信

@KOUZMO10

1 か月前

あちこち行ったり人に話を聞いたりして日本の謎に迫ろうとしているのを見ていると

まるでドラゴンクエストのようなロールプレイングゲームを見ているような気分になります。。

否定されてきた文書の中に真実が隠れているのかもしれませんね。

アマテラスが男神という分析は随分前に茂木先生が歩きながら喋っている動画で見たような記憶があります。

14

返信

@USER-HQ6VU8IS3W

1 か月前

富士山もさることながら、瀬織津姫と関与があるといわれる英彦山もかなり古そうですが。

10

返信

1 件の返信

@USER-ZS3OK8VF9B

1 か月前

『古事記』は

稗田阿礼さんの“口伝”を《漢》字 で書いた てコト?

 ↑ の前には

何百人 何千人の “あれいさん”が居たワケで

つまりは

やっと “書き残す手段”??が できるようになつたと言うコトなのかな

【ほつま】文字を(が)なぜ 使わなく(使われなく)なったのか?!?

次回 が 楽しみです

続きを読む

7

返信

@WATERBLUE8435

1 か月前

勿来の話はさらっと流されましたね。くまさんからもっと聞きたかったよ

1

返信

@BADBADFOCKERS

1 か月前

いやー、超面白いっす!ホツマツタエは改ざんされてないから真実はこっちにあるのかも知れない。

80年代のアニメに巨神ゴーグってのがあったけど、ホツマツアというキャラが出てくるのを思い出した。彼らは既に何かを知っていたのかも知れないな。

返信

@USER-DC6IM9HK3R

1 か月前

AIで新たにホツマツタヱや宮下文書、記紀など学習させられないですか?共通点や新しい発見、誤差などか明らかになりそうですね。

9

返信

@USER-WK8RH7GP5P

1 か月前

頭がこんがらがってしまいそうですよもう一度見直します。次回も楽しみです。

3

返信

@DIGIKING0127

2 週間前

コメント失礼します。

トラさん最高です。流石、松本善之助先生から直接教えを請えた方は別物ですね。高畠先生もトラさんを松本先生にお引き合わせして本当に良かったと思ってらっしゃると思います。

自分はコロナ前の数年、ホツマツタヱ勉強会で高畠先生から教えを頂いておりましたが、残念ながら高畠先生は神上がりなされました。先生は言葉のエキスパートとしてホツマツタヱの流麗で気品に溢れた文・詞を解説、教えて下さいました。先生とはホツマツタヱの記述の地に色々出かけました。その中でも天照大神が神上がりした神社、瀬織津姫大神が神上がりした神社に上がった時話した「そもそも論」古神道の修導士である自分と先生の共通の解釈は至って簡単な事で神々とは「宇宙人」であるという事。そして高天原は「宇宙」であるという事。皆さんは人間として考えるから可笑しな話になるだけで、人間よりはるかに優れ先進的な英知を持った宇宙人なら簡単に納得できますよ。考えられない長寿も人間ならそりゃ無理だけど高度な科学技術・医療技術?を持っていただろう宇宙人なら長生きなんて楽勝だったでしょう。そう考えると全てが辻褄が合います。寿命がだんだんと人間の様になっていくのは瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の姉上である磐長姫尊(いわながひめのみこと)を一緒に娶る事を拒んだために次の世代から人間に少しずつ近くなっていったとされますね。まあそれでも紀元前1000年ころまでは何百年とかは生きてるけどね。

本居宣長も賀茂真淵、平田篤胤も吉田兼永も今の時代に生まれなかった事を悔しがってるはずです。

彼らの替りに、トラさんには是非ともYouTubeでホツマツタヱの真実。日本の真実を茂木先生と共に伝えて下さい、お願いします。

続きを読む

1

返信

1 件の返信

@MALKOTOISU9730

1 か月前

天孫降臨ということでは、ホアカリが大和に派遣されて、ニニキネが九州に派遣されていますね

3

返信

1 件の返信

@USER-FM4LH4YN5S

1 か月前

日本人として最大の謎は、日本列島には様々な民族が移り住んできたと思われますが、その中で極めて争わない歴史があること。それは日本列島という自然環境が争わない精神性を育むのか、あるいはそういった精神性を持つ民族が列島に移り住んできたのか。

世界中でも際立って日本人は特殊性があり、それが古代から続いていることが奇跡的だと思います。縄文時代の精神性がよりはっきりわかると未来の日本人若しくは世界の人々にとっておおきな模範になり得るかもしれません。

世界平和にとって大きな鍵が日本人の遺伝子には刻まれていて、それを呼び起こすことが出来れば世界を平和に導くことが出来るような気が致します。

続きを読む

5

返信

1 件の返信

@USER-KAZENODRONE23

1 か月前

勉強になります

2

返信

@USER-PT8EQ4KT3I

1 か月前

以前から縄文人の存在感を確り日本人の源流として感じたい知りたいと思って居ました渡来系民族の日本への流入に翻弄されながら渡来系と混血しながら歴史の中に埋もれて言ったとはどうしても思いたく無かった自分がいましたホツマツタヱの様に縄文文化の中に渡来系民族が融和しながら今日の日本人を作り出した決めてが欲しかったのでこの様な実にわかりやすくしていただいた話を聞く機会が有って良かったと思います記紀プラスホツマツタヱで今迄の謎だった空白のパズルが埋まって行くような気さえします阿波の立ち位置やニニギの兄のニニキネはニギハヤヒ?スサノウの系譜〜役職名〜大神神社の大物主の意味〜東北な北上川地域の統治など縄文時代に繋がる九州の一部を除いた日本列島ネットワークが朧げながら見えて来ますね〜記紀で何らかの理由で書かれ無かった空白の部分を繋ぎ合わせるのにホツマツタヱは必須ではないでしょうか?

続きを読む

2

返信

5 件の返信

@HIROMI711

1 か月前

とらさん茂木先生お話ありがとうございます

3

返信

@GONTA-OPZ4863

1 か月前

配信、有難うございます。

私の浅い知識では、ご説明が繋がらず、混乱中。

スサノオが出入り……?

…って、例えば、朝貢のようなことをされていた結果のこと?ホツマツタエは、

難解です〜

続きを読む

7

返信

@MEGADOITU1

1 か月前

お疲れさまです。

神代文字をスーパーコンピューターに掛ければ、

現代の標準語に変換できそうなきがします。

そもそも中国語の漢字で書かれた古文書は

削除や誇張された可能性が多いような?

続きを読む

3

返信

1 件の返信

@USER-ZO5LS1EH7X

1 か月前

「父音」初めてききます縄文叙事詩️年代的にはカタカムナ→ホツマ→古事記→日本書記みたいな感じでしょうか?Yに似た字もありますね。アルファベットも日本が源流だと言われる時代が来るかもですね世界四大文明はそうだと言われる時代頭ついて行きたいです

4

返信

1 件の返信

@OSAMAKEIKO

1 か月前(編集済み)

ホツマツタエに徐福の事は書かれていないのですが、イザナギとイザナミの仲人をしようとした速玉王という人がそうじゃないかという説があります。なので、アマテルは紀元前207年頃の生まれだと思われます。

返信

@USER-VC9QY6EZ6K

1 か月前

台風は直撃してきそうだし、お盆だし、You Tube見てる余裕はないのに、ついつい大好物をアップされては、食べなきゃ。ご馳走ありがとうございます

5

返信

@TAMAKIFUJIWARA5242

1 か月前

平田篤胤の弟子で娘婿の平田鐵胤、その門人の一人に尾崎松太郎という者がおります。彼が村長であった東濃西白川周辺は平田国学の影響が強い苗木藩領、国内でも廃仏毀釈が徹底された地です。その嵐が止んだ1874年、松太郎の子として生まれたのが尾崎秀真、ホツマツタヱから取られた名でしょうから、当時の一部の平田派への影響が伺えます。

彼の子が日本共産党員であり日本ペンクラブ会長の尾崎秀樹、そして尾崎秀実です。

5

返信

·

1 件の返信

@USER-FT8MM6PT7Y

1 か月前

記紀を含め古史古伝を読むときは、御祖神たちは素直に「天」から来た、でええんじゃぁないか?と思います。ただし、こっち(=現実)にちゃんと戻ってこないとヤバい人になってしまいます。これは陰謀論とかを学ぶときと同じで、学ぶ間はそっちの頭になっている方が理解がしやすいが、ちゃんとこっち(=正論)に戻ってこないとヤバい人になってしまいます。 どちらも理解した上で日本としてはやっぱりこうなんじゃぁないか、ってのを纏めてくれるのが茂木先生の御本です。神話で読み解く超古代史的なやつ、期待してしまう。

続きを読む

1

返信

@USER-CX8UN6HO3G

1 か月前

子供の頃、登った山中に神代文字の石柱が立ち寂れ朽た神社が有ったのを思い出し見ておりますと…

そこは滋賀高浜へ京都から抜ける街道、大原近くにある金毘羅山山頂にある三壷大神を祀る神社で三つの壷、火壷、雨壷、風壷が祀られ、途中の道にはほつまつたゑではないですが阿比留文字で天之御中主神と彫られた大きな石柱、現在は新しいのに変わってるそうですが誰が建てたのかは不明…や大国主之命、天御中主之命、魔王大神の御名が彫られた石碑など…何か関連があるのかも知れませんね

なお、麓に金毘羅山山頂の神様を御鎮座願い創建された江文神社には倉稲魂神、級長津彦神、軻遇突智神が御祭神となっておりますが…

続きを読む

4

返信

@WALTERWOLF7580

1 か月前

さり気なく、阿波のことをお尋ねしていましたが、阿波に関して何か思うところがあるのでしょうか。阿波巡りの動画は拝見しましたが、いつか阿波について深堀りしていただければと思います。阿波には様々な痕跡があるので史実ではえがかれていない何らかのストーリーがあったのだと思うのですが、一方で、あまりにも揃いすぎていると考えてしまう自分もいます。完全妄想で構いませんので、いつか先生のお話を聞ければ幸いです。

7

返信

·

2 件の返信

@KOKOSOREFRGV

1 か月前

昔の人もファンタジーを作り出してたんじゃないかなって思いました。

4

返信

2 件の返信

@USER-TN5BV8WC1Z

1 か月前

同時は海の果てが宇宙だと捉えてる

返信

@M58574

1 か月前

秀真伝 序文「家々の文も其々変りある」熱田神世を辞む文「代々の文まちまちなれば」

三笠文 序文「されど上代、今の代と言葉違えば道離る。これ諸家の伝え文」

編纂された当時から『諸説あり』だったようです。疫病と大乱のせい?

1

返信

@USER-LD6GQ9KW9W

1 か月前

黒曜石交易文明ですよね。交易拠点であっても、常設の都市ではなかったと。

1

返信

1 件の返信

@KOUSEIYAMADA1402

1 か月前

系譜について、当時は腕っぷしで取り上げたり乗っ取りが横行したという事なので、何処から何処までが信用できる範囲であるかをよく吟味しないと、事実から離れてしまう。ある意味、嗅覚ですよね。自分が簒奪者になった気持ちで資料に当たる必要があると思いますよ。

返信

2 件の返信

@CHOCKLE2

1 か月前

高床式は縄文時代ですね。三内丸山遺跡。

1

返信

@USER-CC1LB3BB4K

1 か月前

古事記とほつま、どちらが先でしょうか。神代文字で書かれているから、ほつまが先とは言えないのではないでしょうか。京都では漢字が使われていても、地方では、とくに神社の神主やその周辺の人々は、伝統を重んじて神代文字を使っていた。日本全国に神社を中心として、いろいろな口伝があったと考えるのが正しいのではないでしょうか。エジプトの神々を調べると、とても興味深い神話形成が見られます。エジプトを中心にして、周辺国で信仰されていた神々が取り入れられています。シリア生まれの神さまがアスタルテ女神、アーンティト女神、ケデシュ女神になったりしています。そして最近の発掘では、シリア出身の女官が高い地位にいたこともわかっています。古事記が編纂されて時期に、エジプトと同じような出来事が起きたというのは、容易に想像できることです。古事記は京都周辺の口伝を集めて編集したのではなく、日本列島の広い地域から古代から継承されてきた伝承を集めて、再編成した神話ではないかと。だからこそ、あれほどまでに多くの神さまが登場し、統一性のない物語が語られ、最後は皇室へと繋がってゆく。忘れてならないのは、日本の神さまは日本列島で生まれたとは限らないこと。秦氏もそうですが、人は新しい移住地を求めて旅をするとき、神さまも一緒に連れて旅します。ザビエルもそうですね。宣教師という役割を担っていましたが、それ以前にも、仏教の僧侶や、景教の信仰者や、ゾロアスターの神官、他にも多くの宗教家が渡ってきたことでしょう。そうした人々は頑なに自分たちの信仰を守り続け、神社という形式で信仰を継承することを朝廷が許すようになると、それぞれの宗教を神社形式の中に収めて信仰するようになったのでしょう。しかし信仰する対象の神さまは、口伝によって父から子へ、母から娘へと伝承されました。それらの伝承文学を集めて、編纂したのが古事記です。古事記の記述に、どうしても納得のいかない人々が神代文字で書き残して後世に伝えようとしたのかもしれませんし、あるいは古事記が編纂される以前に、神代文字を使って文献として編纂される事業が、地方豪族のもとで行われたのかもしれません。そういう意味では、古事記はより多くの人々が納得できる形に編纂された神話。いわゆる神話の一般化です。

続きを読む

5

返信

1 件の返信

@USER-HB7UD9QS4L

1 か月前

お二人はご親類でしょうか?とても相貌が似てらっしゃる。

1

返信

1 件の返信

@USER-LP9GL9EX4X

1 か月前

外宮には伊邪那美様のお父上がお祀りされているのですかだから 外宮の千木は外削りで鰹木奇数の男神様式 だったのですね!

1

返信

·

2 件の返信

@COSMO3833

13 日前

ホツマツタエは百人の学者がいれば、それぞれ違った見解を主張します。

ヲシテ文字をひらがなもしくはカタガナに変換し、五七調で分を形成していくようですが、

あという一文字、いという一文字に語彙があるのが日本言語の特徴です。

言葉というのは時代によって変化します。

正確な解釈は不可能ですが、ある程度の時の流れが理解でき、日本の創生が分かります。

とても素晴らしい文献だと思います。

続きを読む

1

返信

1 件の返信

@USER-DX7EJ9OX2F

1 か月前(編集済み)

出雲大社の元は

杵築神社です

出雲は、

明治に作られたと

思いますが️

ホツマは出雲を

どの様に書かれて

いるのですか️

教えて下さい

また、

明治政府になり、

かなり歴史が

変えられてます。

地名で歴史を掘って

行くと見える物が

有ると思います

宜しくお願いします

続きを読む

1

返信

1 件の返信

@USER-NO6YE5OU3W

1 か月前

クシヒコさんで混乱

クシヒコさんがオオクニヌシ.オオクニタマで大神神社に祀られているなら事白主がご祭神?クシキネさんではない?…

4

返信

6 件の返信

@SUKUNA_BIKONA

1 か月前

10:00 「オオナムチが言うこときかないのを釣りをして諌めた人がいました。それがクシヒコ」

すみません、主語が何にかかっているのか....理解できませんでした

大国主がクシヒコで、言うこときかないのはオオナムチ?釣りをしたのはクシヒコ?クシヒコがオオナムチを諌めたのですか?

事代主vsタケミカヅチの話とは関係ないところでしょうか?

ストーリー自体が違うとは思いますが、記紀との、登場人物の対照表を見たいです。

続きを読む

1

返信

@TO8365

1 か月前(編集済み)

はじめてのホツマツタヱを読んでますが、日高見(東北)が起源のような印象です。

4

返信

@NKZKS6976

1 か月前

ホツマツタエにはオオクニヌシ、出て来ないのですかー( ゚ェ゚)オオモノヌシ=オオクニヌシ説はここからきているのかしら?むむぅ謎は深まった。

5

返信

2 件の返信

@WORDSWAVES

1 か月前

これもう観ました?お好きだと思います。視聴済みでしたらすみません

【秦氏】本物の陰陽師!?子孫が登場!二千年に渡る口伝を大公開!

https://youtu.be/Qk-IS1ScGys

返信

@DE7461

3 日前

出雲大神宮が京都府亀岡市にありますが、歴史的には大きな関連がありませんか?

1

返信

·

2 件の返信

@NOBORUTAKENAKA2305

1 か月前

大己貴神社と書きます

返信

@USER-FW5IY3FS3U

1 か月前

茂木先生おはようございます!

3

返信

@USER-ZC6JD8DP1R

1 か月前

ヤマトに天下ってたニニキネさんのお兄さんってニギハヤヒですか?

返信

4 件の返信

@USER-XC4NO3DD1I

1 か月前

ニニギのお兄さんといえば、ニギハヤヒ️

出雲口伝とどっかで繋がるのかな…と聞いているのですが

出雲口伝では事代主が職名でなく、スクナヒコが副王、主王が大国主。

まあ、どこかで逆に伝わる可能性がありますよね。

宮下文書とも繋がるのかな…

琵琶湖、といえば、正統竹内文書、何か繋がるものがありそうですね。

出雲口伝が一番説得力ある気もしますが。

続きを読む

3

返信

@THIRR1254

1 か月前

そもそも”神”様とは 一体どうゆう方なのか? 単なる抽象名詞の”神”ではないはずです。

聖書の創世記の冒頭で「1 元始に神天地を創造たまへり」(文語訳)とあります。また

「26 なんぢら眼をあげて高をみよ たれか此等のものを創造せしやをおもへ 主は數をしらべてその萬象をひきいだしおのおのの名をよびたまふ 主のいきほひ大なり その力のつよきがゆゑに一も缺ることなし」(イザヤ40:26(文語訳))

「28 汝しらざるか聞ざるかヱホバはとこしへの神地のはての創造者にして倦たまふことなく また疲れたまふことなく その聰明こと測りがたし」(〃40:28(文語訳))

そして日本はかつて ヤマト神国 とも言われていました。ヤマトはヘブル語で ヤ(ハ)マト つまりヤハ(エホバ)の民 という意味のようです。また イザヤ43:17(文語訳),歴代第一12:23(文語訳),エステル1:3(文語訳)には”武士(もののふ)”なる語も出てきます。また イザナギ イザナミはこのイザヤから来ていると思われます。

「6 わたしたちには父なるただひとりの神がおられ,この方からすべてのものが出ており,わたしたちはこの方のためにあるのです。また,ひとりの主,イエス・キリストがおられ,この方を通してすべてのものがあり,わたしたちもこの方を通してあるのです。」(コリント第一8:6)

そうです 日本人のルーツが途中で途切れているように見えても アダムとエバの子孫であることに疑問の余地はありません。

続きを読む

1

返信

@KUMO-SUKE

1 か月前

原田先生と茂木先生……って、

顔 似てるよね。w

2

返信

@TV2488

1 か月前

ホツマツタエは良く分かりませんが偽書と思われますね?琵琶湖の高島市は高島屋発祥の地ですので何らかの権力集団がいたのでしょうが?そちらの作文に思われます。

返信

@USER-FW5JY1ZF7Y

1 か月前(編集済み)

外宮。

ソトの宮。

と読んだらその神様の素性が露になります?

ソト。素兎(ソト)神。

月に住むと言う兎。

月兎。

に因み、元々(素)は兎族と号した

宇佐(兎佐)族。

彼らが信奉したのが

月の女神、月読尊。

月読尊を奉祀した神宮が

宇(兎)佐神宮。

(二ノ御殿)

月読尊

=豊受大神

(丹波の海部氏(徐福の子孫)が政変(神武東征神話の闇)で大和から逃避してきた

豊国宇佐王家軍と

月読尊の姫巫女で

親魏倭王宇佐豊日女命(女王トヨ)が

丹波で月読尊を布教した際、

月読尊を豊受大神と呼んだ(豊国(宇佐族)の神(月読尊)を受け入れた)のが端緒)

(=、八幡大神

(宇佐神宮の月読尊の神前に全軍が集結して

華々しく東征への出陣式を挙行した際に

魏の黄色幡が

八幡はためいた(魏の傘下に有った(属国化していた))のに由来)、

稚日女神、

(↑大和入りした宇佐軍と姫巫女の豊媛命が大和で月読尊の信仰を檜原神社を建立して布教。

すると、大和の出雲族らが稚日女神などと尊称した。

)

天ウズ女神、

丹生都媛大神

(丹生を支配する神。宇佐神宮や八幡宮が真っ赤な理由))

続きを読む

返信

@TOMSHIO1290

1 か月前

顔、似てますよね、やはり

3

返信

@HIDETOSHITAKIMOTO9977

1 か月前

イザヤ書の内容に酷似しているようにも思えます。直接イザヤ書を読む語学力がないので和訳解釈されてあるものを見ただけですが。

返信

2 件の返信

@USER-XL7PP2XH4B

1 か月前

古事記は阿波の渡来系︎

ホツマツタエは縄文の伝聞︎

2

返信

@TSUNAGI-HW5VP

1 か月前

殘念ですが、神代文字や記紀以前の古代文字を扱つた文獻は略、德川治世以降に編纂された僞書と云つて閒違ひ在りません。先ず、古代文字の中に「ん」と云ふ文字が含まれてゐる事自體が有り得勿い事なのです。縄文人は其の會話の中で日常的に「ん」を發音はしていましたが、言葉の音韻としては全く意識されてゐませんでした。其の起源が縄文時代にまで遡る萬葉集、中でも枕詞には「ん」と云ふ音韻は存在しません。撥音や促音が音韻として意識されるのは大陸から漢字が流入してから。假名として文字化するのは平安時代に爲つてからです。縄文時代に譬へ文字が存在してゐたとしても、其の中に音韻としては存在し勿い、認識されてゐ勿い文字が混在するのは整合性を缺いてゐます。更には、縄文人の發してゐた縄文語は今の現代假名遣ひの五十音を約二十越える音韻を持つてゐました。其れに關しては福田恆存氏の名著「私の國語敎室」に詳しいので參照して頂きたいのですが、神代文字は奈良時代から平安時代に懸けて衰退して終つた、縄文語の源流で在り、縄文語を語る上でイロハのイで在る「上代特殊假名遣ひ」にすら對應してゐません。古代文字と呼ばれる物の殆どは、明治政府の敎育制度に因つて規定(限定)された五十音圖の音節表に卽しており、ややもすれば明治開闢以後に僞造された物で、日本の學界が神代文字を認め勿いのは、明白な學術的根據が在るからです。

 私も本居宣長先生の「學びとは獨學で在る。」と云ふ御言葉を澪標に日日研鑽に勉めている躰では在るのですが、此の神代文字を日本文化の源泉として正統化する事に關しては、健全な檢證主義と批判精神を缺いた、素人の獨學、其の悪弊に因る暴走と云はざるを得ません。白川靜氏の著書「後期萬葉集論」には、太安万侶が古事記を真名(漢字)に因つて日本語化するのに苦心した樣に、萬葉集も真名を如何に和歌と融合させるかで、佰年以上の試行錯誤を繰り返した事が記されてゐます。日本に漢字流入以前から流通する文字言語が元元存在したのなら、此の樣な苦勞は勿かつた筈です。若し、記紀以前の文字の存在を研究したいので在れば、先ず、古事記、萬葉集の原文を読破し、大和言葉と真名(漢字)との格鬭の曆史を學んでからでも遅くは勿いと思ひます。學問の道は幾ら遠回りをしても、し過ぎる事は在りませんし、少なくとも其處には神代文字の付け入る餘地も在りません。

 私は記紀以前の曆史に考古學や文獻に因って新發見が在り、記紀の内容が全面的に覆つたとしても、日本国民の平和と幸せの爲に、日日祭祀の勤めに勵まれてゐる天皇陛下と皇室の權威に傷が付くとは微塵も思ひません。記紀に記された曆史をタブー視する事勿く研究に勤める事は日本の爲で在り、皇室の爲でも在ると思つてゐます。現に天皇陛下は、去る第四回亞細亞太平洋水サミットで記念講演を行われ、記紀以前の日本の信仰と文化、部族に關して詳細に言及されてゐました。天皇陛下自ら、記紀以前の曆史を皇國史觀に囚はれず、分け隔て勿く學ばれておられるのです。だからこそ、曖昧な推論と妄想で容易く齒止めの效か勿く爲る考古学は、慎重で勿ければ爲りません。

 僞書の伏魔殿とも呼ばれる古史古傳は蔴藥の様な物です。オウム真理教の松本智津夫は古史古傳の中で最も有名な僞書「竹内文書」を敎義に盛り込み、吉本隆明、中澤新一、島田裕巳、ビートたけし、と云つた數多くの似非知識人、文化人タレントを欺き、手玉に取りました。僞書には魔性の魅力が在り、其の存在を求める人人の心にいとも容易くバイアスを懸けて終ふ事を、是非御畱意頂きたく存じます。

 乍恐、己の恥ぢの上塗りとは重重承知の上で、弱輩者の突然の亂筆。誠に御見苦しい限りでは在りますが、後學の壹助に爲れば幸ひです。

続きを読む

2

返信

·

2 件の返信

@USER-NF7ZS1DX9T

1 か月前

ホツマ頭混乱します。徐福はいないのですね。うーん。しばらく寝かせたら何かと繋がるかしら。

6

返信

2 件の返信

@USER-WZ3ZY1CJ8C

1 か月前

お兄さん?