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縄文ホツマ塾(いときょう先生主催)
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いときょう先生の本 …
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@USER-UZ7BH4FP7M
5 日前
ホツマツタエや古事記が、ご先祖様たちの冒険の物語として、子供たちの目に触れる絵本や動画にあればなぁ、とつくづく思うほどに、活き活きとした歴史ですね。
配信ありがとうございました。
21
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@SUKUNA_BIKONA
4 日前
本当に面白いです!
どの古伝も、地域の伝承をまとめて、著者側に都合の良いようにアレンジしたものなので、
著者本人の実体験ではないわけですが、
いろいろ読み比べてみると真実に迫ってくる感じがしますね。
私は出雲口伝と宮下文書が好きです
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10
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@maomao96363
5 日前(編集済み)
所々、虫の音のような電気的ノイズが入ります。編集ソフトで軽減しましたが、気になる方はご容赦ください。
(いときょう先生より補足)
シヰネツ彦は山幸彦の兄、海幸彦の子供です。海幸彦は反省して、弟の山幸彦を応援する為に九州(青島神宮)に行きました。ヤタガラスはクメミチオミ(久米道臣)とも言われ、7代タカミムスビ・タカギの子、クシタマの子孫です。
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@USER-ZB1CI6FW3W
5 日前
大変楽しい講義です️
初めて茂木先生にツッコミを入れてしまいました。背に負うのは夕日では沈んでしまうやん️って、、、
ようやく神代の事がスッキリして来て嬉しいです。ありがとうございます
次回も楽しみにしております。配信宜しくお願いいたします。感謝。
23
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·
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@HITU450
4 日前
ホツマを聞けば聞くほど、ホツマこそ史実を忠実に記していると考えざるを得なくなりました。これまでの断片的な知識が合理的につながり、幾度も腑に落ちました。
一方、日本書紀と古事記は、藤原一族の地位の永続を第一に考えた不正直なものとの疑念がさらに強まりました。
日本の古代史は日本人によってねじ曲げられ、近現代史はアメリカ人によってねじ曲げられていることになります。
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3
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@USER-DT3WH8KG9U
4 日前
こんなに一生懸命勉強している人が居ることに衝撃的です。
7
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@USER-IE9RR2WE4J
5 日前
茂木さんの 行動力。。。すごい。。。
7
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@MREMILYTK
5 日前
このあたりはかなり複雑なので、やはり初心者は現代語訳を読む方がわかりやすいですよー。
前半部分をまとめたクシミカタマは神武東征直前までで筆を置いて、書を社に収めたんです。東征について書いたのは子孫(おおたたねこ)です。
その当時の乱れた社会情勢にどれほど危機感を感じていたか。もしホノアカリ側が勝ったらどうなってしまうか。「世直しの指針となるものを残さなければ」という強い思いが伝わってくるんですよ。
ちなみに、2年以上前から「たっしー&たー坊」というYouTuberさんが全文現代語訳にトライしています。原文読み上げ、用語解説、現代語訳を少しずつ進めていて、今やっと孝霊天皇のところまで到達しています。
よかったらご参考に。
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13
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@USER-XY1BZ2TN3R
5 日前(編集済み)
歴代の系図と複数の典持内侍のヲシテ内での記述などは駒形一登さんの「ほつまつたゑ解読ガイド」の単語索引「カンヤマトイハワレヒコ」の項などにまとめられて詳しく乗っています。
8
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@MAYUMI3300
4 日前
いときょう先生の
優しく分かりやすい語り口。
茂木先生のツボをつく質問が、
更に秘密の扉を
ひとつづつ開けてくださるようで、
絶妙なコラボです。
わたしは、
全ての書物や文献は、
伝えたいことがあって
書かれていると
思っています。
歴史がそのまま書いてあるのではなく、
抽象化して
その本質を伝えているのだと。
和歌の手法です。
特に古事記やホツマツタヱは、
そのように書かれていると
感じます。
文字をそのまま追っていては、
理解できない。
歴史だと言う観念を一旦捨て、
誰が何を言いたいのか…
を感じるようにしています。
パズルをバラバラにし、
和歌を読むように
その本質を感じるようにしてゆくと
浮き上がってくるものが
沢山あるように思います。
ホツマツタヱでは、
最初から日本が一つの国として
まとまっており、
天皇家が中心となって
治めています。
現象的世界では、
弥生時代はおろか、
古墳時代でも、
飛鳥時代でも、
まだまだ豪族の集合体に過ぎず、
鎌倉時代にようやく、
東北までまとめることが
出来たことを考えると、
縄文時代に全国が
一つの支配者のもとに、
まとまっていたとは考えづらいです。
ですが、
ホツマツタヱは、
現象的な世界を描いたのではなく、
潜象にある宇宙の摂理を
説いているのであれば、
日本が世界であり、
宇宙の縮図となります。
一本の筋が中心にあり、
それがずっと続いているということは、
自然科学的に見ても、
哲学的に見ても、
本質であると思います。
最初から一つの国であった。
最初から世界は一つであった。
最初から宇宙は
一つの生命体であり、
現在も同じです。
ホツマツタヱは
賀茂族が記した書です。
天と地をつなぎ、
国家の祭祀を行って来た人たちです。
どのような宇宙観を
持っていたかが伺えます。
先代旧事本紀に記されている
ニギハヤヒの降臨に随伴した32神。
ホツマツタヱでは
ホノアカリに随伴しているのが
面白いですね。
この32神は、
わたし的には、
日本という国を理解するのに、
大変大きなヒントを
与えてくれました。
いときょう先生
茂木先生
毎回、素敵な発信を
ありがとうございます♪
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@ALAINDELON8737
4 日前
因みに『私を見ないでください』と言って閉じこもる神話は欧州や中東にも存在しているらしいが世界の神話の共通性を見るに人類史の神秘みたいなのを感じてしまう
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@USER-GH9QP1ZR3Q
2 日前
ホツマでも神武は1人の扱いですが、出雲口伝では7代目で畿内に入っています。ホツマでは瀬織津姫は天照の正妃ですが、瀬織津姫はもっとも古い縄文からの神ともいわれています、賀茂にしろ藤原にしろ富にしろ、阿波忌部にしろ基本的にみんな渡来系と思っているので。争いなく和して1万2千とも6千年以上つづいたと言われる、素晴らしい縄文人はヤマト朝廷とは別モノと思っています。縄文後期に渡来系が入ってくるまでと違う。縄文は女系ですし。覇権とか統一とか奪取とか戦うとか所有とかすべて、渡来人入るまでなかったと思ってます。性質、価値観が違うのです。軍門に下らない元々の民族は滅亡させられ、危ぶんだ民族は姻戚になりヤマト朝廷に血統は入ってますから。それを踏まえて調べたり学んだり検証していきたいです。ヤマト朝廷は縄文の聖地や神の背のり酷いと思ってます。良くみんなが、誇る縄文人と渡来系の集まりヤマト朝廷をごちゃごちゃにしないで頂きたいです。
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·
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@USER-TI4KU2DP2L
5 日前(編集済み)
お二人の愉しげな中にもスリリングな対話を拝見できて、こちらもゾクゾクしました
(*>∇<)ノ
お話を伺っていると、それだけトップが移動していれば土地土地で多様に混血が進んでたんじゃないかと思いました。それは各土地の誇りになりますよね。(o・ω・o)
代を重ねるごとに人口が増え農業生産が増えれば、土地ごとに判断しなければならないことが増えるでしょうし、現場を任されている人が「我こそは王なり」となっても不思議ではないような気がする。(; ・`ω・´)
神武天皇の頃には日本全土をどう治めるか、移動に変わる新しいスタイルを確立しなければいけない時代だったのかなと思いました。
うーん、スリリング!( 〃▽〃)
薄曇り 涼風なびき そよぎたる
猫じゃらされて いざなわれゆく
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@USER-FR3WQ1VY5P
19 時間前
いときょうです。海幸彦が鹿児島神宮に行ったという伝承を残す鯛車の話
鯛車は鹿児島県の郷土玩具で代表的なものです。いまなお国分八幡(鹿児島神宮)の祭りには無くてはならない隼人名物の土産品です。
鯛車は、海彦・山彦の故事にちなんで作られたものと言われ、「山幸彦(彦火火出見尊)山幸彦は兄海幸彦に借りた釣り竿で釣りをしている最中に釣り針を失った。兄の海幸彦はいくら詫びても山幸彦は許さなかった。そこで塩土翁に知恵を借りて出港。やがて鹿児島県曽於(そを)のハデカミの館の前につく(ホツマツタヱ25アヤー27)。この時アカメという海女が目無堅網(めなしかたあみ)で網を張り魚を獲るよう提案。すると大鯛が山幸彦が無くした釣り針をつけたグチをくわえてやって来た。以来鯛が魚の中の君という存在になった。鹿児島神宮の鯛車はその鯛をかたどったものだと言われる。
*ハデカミは船の一族。ハデカミの娘が豊玉姫。ハデカミが満干の玉を持っていた。
*ホツマツタヱには曽於(そを)の地名が載る。
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@NORIRINPOQ310
4 日前
ホツマツタヱの動画が伸びたのは、みんな今の嘘だらけがいやになったんですよ。
やはり真実が知りたいんですねっ!!先日、滝川神社にお詣りしてきました。
瀬織津姫様がアマテラス様の正室だとは知りませんでした。
ありがとうございました。
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@KODENJIKI
5 日前
ホツマ辞典にあるように、日本列島を南北逆さに見て、日本海側が表だと見るとわかりやすいですね。
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@SAITAMA-KENMIN
5 日前(編集済み)
一般的に寿命も短く、移動にも時間が掛かった時代だと思うのですが、馬や舟が在ったとしても、ずいぶんダイナミックに動き回っていて不思議な気がしました。
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@ALCOIRIS_YU
5 日前
この部分もっと広まって欲しい。
あと、ニニキネのお兄さんの方のホノアカリ(クシタマホノアカリテルヒコ)が、イカルガ宮に遷宮したその日に「やっぱりここダメ、アスカ宮にする」って一見わがまま言っているような感じで言われるが、後に聖徳太子が飛鳥で産まれ斑鳩で没するの、ホツマじゃないと知り得ない因縁?警告?だなぁーと思う。
(ニニキネの長男のホノアカリ︎ムメヒト その子供がテルヒコの養子になったニギハヤヒクニテル)
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@USER-VY2WK6MG8L
5 日前
日本思想史マトリックス、買いました。非常に楽しく拝読しております
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@KZN3720
5 日前(編集済み)
稲羽の素兎は宇佐からきた氏族。
下照姫(意富氏)は本来、意宇郡があった東出雲側の姫だったが、事代主の国譲り後に高照姫に名称変更された。そして下照姫は神武側に協力した鴨族(八咫烏)の故郷にあたる西出雲側(大国主)の系図として組み込まれた。また古事記でも大国主と兎の逸話となった。そのため高照姫と下照姫が同一視もしくは混同されている。
応神天皇がなぜ「オウジン」といい、なぜ宇佐神宮で祀られているのか、なぜあの地方は大分というのか、逸話はいろいろあるがこれらは偶然ではない思う。
また、装飾古墳や装飾横穴墓は意富氏の末裔と関連があるが、これらは九州、意宇郡、因幡、北関東などに分布している。
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@HIYOKO-CHAN
4 日前
私は12年半前くらいから糸島市に在住していて、よく平原遺跡に足を運ぶのですが、
その王墓から、伊勢神宮にあるとされるのと同じ国内最大の銅鏡が出土しています(偶然、先生の過去動画でも見掛けたことがあります)。
それで、その王墓には玉依姫が眠っている、という地元の研究者の説に賛同していたのですが、
その銅鏡が貰えるくらい力のある豪族の女性が眠っているのかもしれませんね。
割られた40面の銅鏡や剣も出土して何かの儀式をしていたようなので、
かなりの人物だとは思います。
玉依姫に会いたくなったら、
琵琶湖の多賀大社を訪れると良いのでしょうかね️
因みに、来月20日、日向峠(ひなたとうげ)から昇る朝陽でできる、当時あったとされる大柱の影が、王墓の中心に射し込んでいたそうです
何年か前から、この日に、天照系の神社の方が王墓に見えられて、祭事を行われます。
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@USER-CI6GE6WF9G
5 日前
いときょうさんの優しいの性格が溢れ出ていますね。
個人的には神武天皇は起点となる三人を融合した人物だと考えています。
丹後からヤマト入りした火明の子孫の天村雲
開化天皇(子、日子坐王)、大彦命(阿部氏祖)、彦太忍信命(子、武内宿禰)の父であり橿原に宮を置いた8代孝元天皇
九州からヤマトへ東征した10代崇神天皇
地図や考古学を照らし合わせるとわかるのですが、丹後に鉄の出土数の多いことや天野川を下った場所に磐船神社や饒速日の墓があることから推測すると、海部氏系図にある邇邇芸と別の天孫である火明が丹後に勢力を持ち、饒速日が淀川から天野川を下って奈良の白庭台近辺に勢力を広げたと考えれます。富雄川から大和川へもアクセス可能です。星田の七夕伝説などを考えると、火明、饒速日が神話の天稚彦なのでは。。。
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@JASTS1835
5 日前
熊襲、隼人、蝦夷の血の濃い方は同系列の顔立ちですね。
目の縁に墨が入っている様なかんじというか、目力が強いというか、いかにも縄文人っぽいですよね。
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@USER-OV8DL5BB6X
4 日前
山幸彦、海幸彦の時代は稲作はない時代だから、狩猟民族と海洋民族の物語で、稲作が始まる遥か以前の話と聞いたことがありましたが、2人とも農業専業だったんですね。驚きです。
また、神話は阿波からという話もありますが、やけに狭い領域の話だと思っていましたが、ホツマツタエでは馬を使って全国広範囲に行動していて、そのギャプが埋まらず混乱しています。
壮大な話で興味が尽きないです。
有難うございます。続き楽しみにしています。
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@PIRON18
3 日前(編集済み)
昔、バイトしてた会社の偉い人がホツマツタヱの研究をしていました。
その方が苦手だったせいで、ホツマツタヱ自体も胡散臭く思っていました。
先生のおかげでイメージの払拭と反省が出来ました。
ありがとうございました。
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@USER-JE1TZ4RP8D
5 日前
何だか…前回から加速度的に拍車が掛かって来ました。琵琶湖から神武天皇が…。
日向側から富士山方面を臨む時に”日が向かって観える…。ナルホド。ダイナミックです。でもある意味合理的です。古代史の浪漫は尽きません。
有難う御座います。
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@USER-VC9QY6EZ6K
4 日前
04もありますよね?毎朝の楽しみです←暗に先生にプレッシャーをかけてますね~
先ほど、いときょう先生の本が届きました。読書の秋、本が山積みになりかけてます。
目が悪くなってるので、電子書籍は辛いので、やはり本は紙が良いわ~!
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@KOWAIKWAIDAN1795
5 日前
ナガスネヒコは怨霊化してもおかしく無いレベルのニギハヤヒの裏切りにあったのに怨霊伝説がないのは東北に逃げたのか、新潟の弥彦神社に封印されているのか、気になります。
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@Q999D
5 日前
のぼっていく日と落ちていく日には違いがあるよね
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@TASSY_HOZMA
4 日前
皇孫ニニキネ様の次男、サクラキ様と、第三代目大物主コモリの六女・スセリ姫の子であるウツヒコさんが、シイネツヒコさんです
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@YUICHI8167
5 日前
ナガスネヒコがニギハヤヒに葬られた理由、スッキリしました。
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@USER-NP2NX6RE7Y
3 日前
もうね、サッパリ分かりません
でも興味はあります。
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@KOKOSOREFRGV
4 日前
東北に拠点があったという設定だけど後の蝦夷とはどういう関わりがある設定なんでしょう
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@WAKERSSPRING3991
4 日前
古事記での「和邇(わに)」がホツマでは「舟」と?!再調査しなくては。感謝!
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@YSBUCHANAN
3 日前
イトキョウ先生は、こういう話をすべえt、書物に残して下さっているのでしょうか?
記憶出来ないとしても、読ませて頂きたいなあ、とおもいます。
茂木先生も何か、推薦書などがあれば、お教え願いたいです!
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@USER-ZT5PL2OW4J
5 日前
茂木さん、
ありがとうございます^_^
幸せです。感謝します。
賀陽 豊
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@PICA-PYAN
5 日前(編集済み)
先生 オハヨ~ございます 月曜から授業って感じの動画で楽しい さて、ワタシスッゴいバカの壁発見縄文時代の事は縄文人がオシテ文字で書いたんだと大勘違いしてましたなわけないですよね️恥ずかしいでは縄文時代やもっと前の事は口伝なんだろか?アレ️誰がいつヲシテ文字で記したのかしら謎基礎知識もないのにコメントするの失礼でスミマセン
海幸彦…の話しは神話学的には
釣針喪失譚 と云うそうで世界中にあるそうです。物語や心理にも原型と云うのが人類共通でありますしね。神話の型多種あります。もぅ創作神話あり実在話しありでマゼコゼですね。
神話は何故つくられるのかしら?アイデンティティ ルーツ を求めてなのかもですね。古史古伝神話風土記みーんな ある部分はそうなのかもですね。
先生の新書でアニミズム的だとあったので すずめの戸締り を見てみますアメノウズメがってヒカルさんが話してたし。
クニトコタチ 先生が御射山の神社の元の祭神はクニトコタチ。宮下文書 富士王朝はクニトコタチが日本海側(諏訪も)、弟が太平洋側を。 宮下文書が後に寒川神社にと話しが。富士王朝の土地 福地八幡宮に寒川彦と弟クニサツチが。この二週間は宮下文書が出た宮司 北東本宮小室神社と古社と福地八幡社と秋分の日に寒川神社とまいりました。別になんもわからんのですがワクワクしていってます古宮には祠の上にきれいな女神のお顔が映ってました。山の神は女神が多い様な でもオオヤマツミは男神
同じ神の名前をイロイロな氏族?クニ?が使ってるのは不思議です。
いつ~か先生にシン古代日本の話しの本をつくってもらいたいですイノチがネラワレたらヤバいぞ よく云うエンタメ フィクション系でとか20230925am11時半
太陽を背負う話し、夕がダメって 太陽神に失礼
虫の声はクツワムシかも
今youtubeで…朝○ 騎 馬 民族 征服 王朝 説 があるらしいです。ん~征服どうとかはおいといて そう云う民族も渡ってきたのかもですね。日本人 日本史…フクザツ謎すぎ手塚治の火の鳥もその説からつくられたそう、もしや、その説からのオハナシ…とか️失礼で妄想なんで
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@USER-JM2QH9BI2S
5 日前
そもそも縄文人がすでにいたのに、国の歴史を語るのにわざわざ渡来人から始まるというのは、おかしな話ですね。
弥生文化=渡来系という事実があるからといって、天孫降臨=渡来系氏族というのは先入観なのかも。
この辺が記紀にハッキリ書かれていないので、そのあとの歴史もいろんな見方ができて、ぼんやりしてしまう。妄想する日々です。
ありがとうございました
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@HAKUBYAKUDAN
5 日前
十種神宝の一部が意賀美神社の出土品なんでしょうか?
ロマン満載
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@KAKOCHAN8622
5 日前
いや面白い!初めて聞くことがたくさんで、頭がついていけませんでした!
海幸山幸の海山は趣味で、農業が生業だった…︎古代の日本に馬がいっぱい︎
九州南部から東北まで舞台は広く移動しますが、四国は出てきませんね。四国には棚田たくさんあるのになぁ。
古代の日本、森ばかりで陸地の移動は危険だと思うので、縄文時代以前より移動の中心は船だったのかな、と思ってます。馬がたくさんいて、馬による遠距離移動を繰り返すのは、日本の風景としては私の想像を遥かに超えてきました!
興味が尽きません
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@CHOCKLE2
3 日前
喜界カルデラの噴火で西日本に人が住めなくなる。結果的に東北(東日本)が発展する。その後、気候変動で東から西に移動する。その時に安定した食料供給のために水田を開拓しながら移動した。開拓が九州に展開していたころに先に安定していた大和あたりが腐敗したので、神武東征。そういう認識でいいのかな。
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@815Y454B
5 日前
八咫烏って人名だったのか・・
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@UNKNOWNUNKNOWN-NX7OV
5 日前
アマテルは縄文後期ないし弥生初期の男性なのでは?
ニニギの日向は徳島県ですね。棚田は確かに剣山系に存在する。
ユダヤや中東神話の影響は確かに日本神話にある。
しかし、馬の存在は考古学的に確かめられてはいない。
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@USER-YU2VG1UD4P
5 日前
三種の神器は、分祀、分霊の考えが適用されるようで、あっちのも本物、そっちのも本物、海に沈んだ?大丈夫、こっちにもあるから、オリジナル?そういう考え方はいけません。ってなるらしい。
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@NKZKS6976
4 日前
ぅぅむ。馬と農耕が出てきたところで、私の中のリアリティが瓦解してしまいました。馬は縄文や弥生の遺跡からほとんど出土していなかったはず。馬で日本の山林をどうやって疾走するの?馬が移動手段として認知された時代以降に記されたような(^^;。そもそもなぜ瀬織津姫にそんなに焦点を当てる必要が…。記紀に記述がなかったからこそ、いくらでも空気入れられる気がするにゃ~。祓戸四神の他三神も重要だと思います。
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@USER-PO8FH2LQ1M
5 日前
馬で琵琶湖と富士山と九州を移動。
これは解釈している比定地がまちがってますな。車でもこの距離はしんどいし、いろんな民族がいたはずなので移動するだけで危ない。
琵琶湖というのは湖に沈んでいる遺跡のことですか?
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@USER-DY5VS4XI7D
5 日前(編集済み)
えー!山彦も海彦も狩猟(漁猟)でなく農耕民族なの~?
ホツマツタエも読もうっと。
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@SUNSUN2181
4 日前
面白いです。
ホツマで、あちこち移動距離がすごいが、日本に馬が来たのはだいたい5世紀くらいで、古墳時代あたりです。
つまり、ホツマはそれほど古くはなくて、5世紀以降成立、がんばっても4世紀くらいということになります。思ったより、古くないですので、ちょっとがっかり。
古事記や日本書記だって、馬が出てくるので、ある学者は「あれは馬じゃない。鹿の一種を当時は馬だといったのだ」といっています。
馬は、古代においては、スーパーカーみたいなお値段で、入手困難なので、自慢げに書きたいのはわかるのですが、馬を出すと突然、時代がわりと新しくなってしまいますね。書物を書いた当人たちは、まったく自覚がないです。昔はないのに、昔もあって当然と思っています。馬脚とはこのことwww
嘘と、想像を混ぜ込みながらストーリーにしていくの、すごい。古代人から日本人て頭よかったのかなあと思います。
私は今、プレ皇室を研究しています。
神武天皇は、今の公式見解だと紀元前660年建国になっていますが、天皇家のシンボル 三種の神器がみつかるのは、紀元1世紀より前で、一応青銅時代です。何世紀遡れるかわかりません。1万年はありえないので、がんばっても紀元前3,4、5世紀が皇室の先祖の限界かなあと思います。
(一方なぜか縄文時代は12万年前にさかのぼる説がでていて、ええー、グレートジャーニースタートの前になってしまう。それ、現生人類じゃないのでは?という、いまのところ謎の理論です。どうなるんだろう???)
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@USER-IC4DO8IU8L
5 日前
神武天皇が、大坂に着くまでに20数年経っていて、中国地方、四国の瀬戸内海沿岸部の豪族を味方に付け、瀬戸内航路が開拓された結果、日本海沿岸航路が廃れ、出雲、丹後半島の勢力が衰退した。との説がありますが、真偽のほどは、どうなのでしょうか?
6
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@SUNSUN2181
4 日前
茂木先生が夕日を背負って攻めるでいいじゃないって話で、ほんとだーって思いましたwww なんか、昔「夕焼け番長」とかいう漫画があった気がしますが、少年漫画なのでわかりません。
そういえば、天照はこっちの話では、男性 なんですね。でも、瀬織津姫を妻にしているのは、「なるほどなー。男性だから、瀬織津姫が余ってしまったのかも?」と思いました。
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·
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@TOKYOJOE9240
4 日前
水をさすようですが、やっぱり偽書じゃない
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@GOLGO13KY
3 日前
阿波から日本が始まったのでは?
1
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@USER-HW2KH4GZ5I
5 日前(編集済み)
すいません、はじめのあたりでお話しについていけなくなりました。棚田というのは世界中にあるもので、特に全国を回って作らせるまでもなく、平地がなければ山腹に耕地を確保します。縄文人の末裔なら、そのくらいは放おっておいてもやります。富士山火口に身を投げるのも無理があります。お付きの方たちがたくさんいたでしょうから、まず無理です。古事記・日本書紀に富士山が出てこないのは、単に、これらが天智天皇系、つまり、東国を恨みに思っている人たちが作成したからでしょう。何しろ、壬申の乱では関東の連中にこっぴどくやられましたから。そもそもとして、関東にそのような政治組織があったのであれば、必ず朝鮮半島や大陸側の記録に現れているはずです。関東と九州の文化的親近性が指摘されていることもあり、関東だから九州の情報は知らないということはありません。縄文時代以前より朝鮮半島から日本列島を通って、沿海州までの通商ルートがあったことは石器の材料の研究で知られています。古代史はそのような縄文文化の流れの中で考えなければならないと思います。
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@AKANOSOUFU
4 日前
この話の「わに」は鮫のことですよね?
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@YSBUCHANAN
3 日前
だから、昔から、宮中や武将の馬の扱いがじょうずだったのでしょうかね?
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