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垂仁天皇〜ヤマトタケ。ホツマはなぜ書かれたか?/いときょう先生にホツマを学ぶ05 もぎせかチャンネル

垂仁天皇〜ヤマトタケ。ホツマはなぜ書かれたか?/いときょう先生にホツマを学ぶ05

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1.4万 回視聴 2 日前

縄文ホツマ塾(いときょう先生主催)

https://jomonhotsuma.right-road.net

いときょう先生の本 …

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59 件のコメント

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@USER-OV8DL5BB6X

2 日前

いつも貴重な発信有難うございます。

ホツマツタエの編纂にあたっては、当時も移民による日本の混乱があって、日本の文化伝統、アイデンティティが失われない様に残したんですね。

現在にも通じるものがあって、感慨深いです。

5

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@USER-ZB1CI6FW3W

2 日前

ミカサフミ、大宇宙との繋がり、、、縄文時代は奥が深くて凄いです。興味が尽きません。

古文書を全て偽書だと片付けてしまっていては、何も知り得ない!愚かな事です。

茂木先生、配信ありがとうございます。楽しい時間を頂いています。

トの教え️が日本人の根幹にあり続けていると感じます。この国を誇りに思います。

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5

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@USER-GN1RI7MP3Y

2 日前

流離刑で家族と共にひっそりと暮らしていた素戔嗚尊が月夜見尊軍がネノクニ討伐に行く道中にこの二人の兄弟が出逢うシーンは感動的です素戔嗚尊のすっかり心を清められたこころのうたを聴いた月夜見尊が涙して弟を迎え共に力を合わせハタレ鎮圧に望みその活躍により素戔嗚尊は天孫族に復帰を果たす凄くジーンと来る良いお話しです!

4

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@MREMILYTK

2 日前

今回が最後ですね。

幅広い質問にスラスラと答えられる、いときょう先生は本当にすごいです。

ホツマツタエを広く世に広められた功績を心から讃えたいです。

いつも尊敬しております。

茂木先生、この素晴らしいシリーズをありがとうございました!

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@MARIAANESAN2

1 日前(編集済み)

胎児が何週で回転するとか、回転次第で男女が分かるとか、内容がマジで凄いんですよぉ

そして、ホツマは仲間で研鑽しながら研究するものだそうです。

4

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@KAKOCHAN8622

2 日前

ホツマツタエ、あまり関心を持って調べたことはなかったのですが、今回のお話を聞いて興味を持ちました。いろいろな古史古伝を比較することで見えてくるものがあるかもしれません。

素晴らしいお話をありがとうございます

5

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@USER-TI4KU2DP2L

1 日前(編集済み)

とても學びの深い対話を有り難うございました。

ご紹介いただいた狭穂姫伝承地が奈良の狭岡神社境内で今も人々に護られています。

私はこうしたことに接するにつけ、我が国を誇りに思いますし、有難い、かたじけないと震える思いに駈られます。

先生方有り難うございました。

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2

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@RIKISATOU2094

16 時間前

ホツマツタエ、益々興味深い、ずっと特にこのシリーズはくぎ付けになっています

1

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@USER-ZC6JD8DP1R

2 日前

とても勉強になったシリーズでした、覚えきれませんが

2

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@USER-CQ8RT8DJ3E

2 日前

ヤマトタケの東征で現在の静岡県、神奈川県、千葉県、茨城県、福島県内の各地に、その時の故事にちなんだ地名が残されていて、特に印象に残るのは焼津、袖ケ浦、君津、木更津、勿来等です。

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@USER-ZG2WO1MH2L

1 日前

ありがとうございました、家系図を見ながらお話をもう一度復習したいです。

ーワケの名前は、領土拡大的な意味を持つ?自分の中で修正します。

天日槍、神功皇后のご先祖でもありますね。海流も韓国慶尚道からだと北陸に着くようです。新羅は建国神話で倭人も出て来ますし、先日韓国の三国時代について「(新羅が)1000年王国」との記述を見つけまして、ふと秦氏の造った平安京が思い浮かびました。

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@TANAKA-ICHIRO999

2 日前(編集済み)

播磨・吉備編楽しみです。

天日槍(新羅の王)、但馬守→出石神社ですね。

同じ兵庫県でも北に行くと雰囲気がガラッと変わります。(お顔も?)

九鬼文書などとの整合性も面白そう。 ミカサフミ興味が湧きます。

3

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@MUSASHINO_103HI

1 日前

ホツマは大物主系の人が書いたから、後の世に問題になって、古事記や日本書紀の編纂に繋がった可能性はありそうですね。

支配層から問題だと思われた部分が気になります。

2

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@MAYUMI3300

2 日前

わたしがホツマツタヱを読んで

一番驚いたのは、

今回説明していただいた

【藤原・中臣】についてです。

文章を記述する際、

一番重要なことは、

最初と最後にまとめます。

巻頭は、

オオタタネコの奏呈文と、

ヲヲカシマの賛助文で始まります。

そして最後も

この二人が

景行天皇に献上しますと

書かれています。

ホツマツタヱは、

賀茂族が記したものですが、

天君ニニキネからの統治体制を、

左臣・春日系(中臣・藤原)

右臣・大物主系(賀茂)

の両輪で中心の天君を

支えてゆくことが、

ひとつの秩序として

繰り返し繰り返し

歌われているのです。

それ以前では、

武甕槌神など、

藤原の祖先神が

どれほど偉大であったか、

称賛され、

経津主命との関係も

詳しく書かれています。

これは藤原の書なのか…

と勘違いするほどです。

古事記には

アメノコヤネが岩戸開きで

祝詞を歌ったことは

書いてありますが、

ただそれだけであり

武甕槌神も

国譲りに登場するだけです。

かなりフラットに描かれています。

ホツマツタヱでは、

藤原の祖先神たちの活躍や、

その記述に

とても思い入れがあるように感じました。

しかし、

ホツマツタヱの構成を見れば、

オオタタネコと

ヲヲカシマの二人が

タッグを組んで書いているので、

それは当然であろうと

納得できました。

よく、

古事記は藤原不比等が

都合よく改ざんしたのだ…

と言われる方が多いのですが、

わたしには

藤原の都合の良いことなど、

ほとんど見当たりません。

むしろ、

ホツマツタヱの方が

【藤原アゲアゲ】だったことに

びっくりしました。

ホツマツタヱは

クシミカタマと

オオタタネコが記したとされていますが、

賀茂族の偉大な

二人のヒーローの名を語り、

もう少し後世になって

書かれた可能性も

あるかも知れないな…

という気はします。

(これは単なる

わたしの感想に過ぎませんが。)

藤原氏が頭角を表し、

権力を握るのは

奈良時代です。

賀茂と藤原は、

平安時代には、

ガッチリとペアを組み、

天皇家を支えています。

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@USER-BH5YQ3CR4H

2 日前

みかさふみ、何処にあるのでしょう〜

今あるので終わりでないことがわかっているのも読めばわかるのかしら…

先生方の考察が楽しみにしております。

2

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@USER-LU9SS8OP1S

1 日前

それにしても、、、リアルだね〜️

3

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@PUROTORA.SANSEITO

2 日前

ホツマツタエは気になりますよね。

昔CGSでも動画を見ました。

2

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@MEGADOITU1

2 日前

お疲れさまです。

神話やおとぎ話に良く出てくる「何かしている私を絶対見ては行けませんよ約束です」

という約束は必ず破られます。

これは神社のご神体や古文書を民衆が勝手に見る様になると

国が治まらなくなる火種になりかねないと言うことなのかも。

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1

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@13ICHIROUYUUKIJUN15

2 日前(編集済み)

あまり関係ないですが、愛知県豊田市に大碓命をお祭りする猿投神社が鎮座されています。

ここに、猿投古図と言う地図があるのですが、年魚市潟(あゆちがた)を表した図面で

尾張地区が縄文海進により海だったと言う事が記された図面があるそうです。

この図面で、熱田神宮は、熱田大地の半島の先端にあることが分かります。

猿投神社には、左利きのための鎌を奉納します。大碓の命は、日本武の双子の兄です。

この神社は、草薙剣をお祭りする熱田神宮と向かい合っていると言われています。

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@USER-WK8RH7GP5P

2 日前

ワクワクします。照らし合わせると面白いです。戦わずして手に入れるは、政略結婚が一番みたいな〜戦国時代後も同じようなことをしてますね、戦後も続いた政略結婚、お金持ちの話ですがね、日本をまとめるとは、次元が違いますね

1

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@USER-VC9QY6EZ6K

2 日前

出ました〜。日岡神社様。身近の神社のことをお話し下さり、ありがとうございます

私も生まれる時にお世話になりました。憶えてませんが。

今度行かれる吉備国は、ウラ一族と関連深く、ももたろさん伝説のもと。お話しが盛りだくさんになると思います。古代史は、想像を掻き立てられましね。年取るのを忘れます

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@13ICHIROUYUUKIJUN15

1 日前

やはりミカサフミに、月と太陽の関係が記述されているということに、

天文学に詳しかった篤胤の影を感じざるを得ません。

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@DIGIKING0127

1 日前(編集済み)

コメント失礼します。

茂木先生。ありがとうございます。

ヤマトタケノミコトがお喜びになってくださると思います。

近々に三峰神社の奥の院に上がって視てください。きっと体感できる事があります。映像に捉えても良い様です。

是非とも!

*一番良いのは三峰神社の谷あいに降りた処にある清浄の滝で禊行をしてから参拝されると尚の事良いと思います。

追伸:いときょう先生にマイクを付けて頂きたかったです。

これからもホツマツタヱと記紀の考証を期待しております。

ありがとうございました。

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@KZN3720

12 時間前(編集済み)

天皇家の系図を見ると、物部氏の皇后輩出が孝元天皇から開始され、孝元、開化、崇神とまるで諡号に意味でもあるかの如く物部氏の姻戚関係が強化されている。崇神天皇の時代には物部氏が権力を掌握していたと思われる。物部氏は丹後に天降った天火明命の後裔であり、ここから垂仁、(景行)、成務、仲哀まで丹後勢力の影響力が強くなっている。歴史的に葦原中国に由緒のあった天火明後裔だが、神武(豊国経由で東征)から孝元、開化までは豊国勢力に政権を奪われており苦虫を噛んだ状態だったはずだ。崇神以降、まるで天火明王朝とでも表現でき、ハツクニシラススメラミコトと言われる所以と考える。

景行天皇の息子ヤマトタケルは何故か意富氏•秦氏とリンクする。出生地の播磨しかり、彼が征伐した熊襲、出雲、焼津などは装飾古墳の分布地と一致する。また亡き後、白鳥となって飛んで行った地は大鳥神社であり大田田根子の出身地和泉国大鳥の陶邑にある。大鳥神社が言うには、大鳥とは白鳥ではないそうだ。秦氏のシンボルは鷹であるから当然である。では白鳥の白とは何か。当然、斯蘆のことである。彼ら一族からは、鷹、日鷲、金鵄、八咫烏、白鳥など鳥がちらつく。彼の最後の地は伊吹山であり息長氏の活動地であったが、この息長氏の出自もまた楯原神社および出雲口伝によれば出雲意宇郡の意富氏→意富富杼→息長氏という流れになっている。また彼は天叢雲剣(天火明系)から離れた行動をした為に死んでしまったとも読み取れる。彼は不幸な最期を遂げ皇位についていないが、後世に日本武尊という天皇と同等の尊称が与えられている。討伐したようで実は意富氏をまとめ上げただけのようにも見えるが、彼についてはもう少し検証が必要である。

仲哀天皇の最期ならびに応神誕生の奇妙さは皆が知るところである。仲哀天皇は九州に至り、遠賀川の熊鰐および伊都国の五十迹手には歓迎された。始祖天火明命は伊都国出身なのだから当然である。一方、彼は熊襲討伐を目指したが、熊襲とは阿蘇界隈であり、ここはまさに意富氏の勢力範囲であった。仲哀が突然死し、応神天皇の誕生を知った仲哀の別の息子の押熊王が反乱を起こしている。押熊王は天火明命→崇神→仲哀の流れを汲む皇子だった。余談だが、海部氏はこの時始まっており、本家は尾張氏である。

応神天皇は武内宿禰とともに気比神宮へいき、伊奢沙別命という神と謎の名前交換を行っているが、上記の流れを知れば何を意味するかもはや想像できる。伊奢沙別命も伊都国の支族(天火明は伊都国出身;伊都は磯の転訛)という意味なのだろう。武内宿禰はこの頃の暗躍ぶりをみると意富氏との関係が興味深い。

応神直系の武烈天皇で、皇統が途切れようとしたとき、必死になって探しだした継体天皇だが、彼は諱が男大迹であり、意富富杼の末裔と想像できる。実際、系図も息長氏出身なのである。

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@USER-BJ6PQ3KH4T

2 日前

ミカサフミ、すごい。なぜ宇宙の事が?

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@JOONTAROT

1 日前

はじめまして。本を購入させて頂き勉強中です。

ミカサフミ、占星術に繋がりそうでワクワクしますね!

私は占い師なのですが、西洋占星術よりもっと遥か太古の占星術に重きを置いています。似て非なるものであったり、本当のところどうなの?のところで通ずるものがありますね。

カバラ思想(神秘学)などもしかしたら手がかりがあるかもしれません。カバラも奥が深いですが、アレイスター・クロウリーがタロットをカバラに対応させて現代に分かりやすく残しています。

カバラ思想の前は錬金術や思想、信仰が深く関わっているため、根元を辿ると同じかもしれません。賢者の石が有名ですね。時を制する者に権力があり、つまりは太陽と恒星です。

カパラは魔女狩りの歴史があるため、やはり密かに残した感じがしますね。

ですので日本の作品を色々調べてみるのもいいかもしれませんね!

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@NKZKS6976

2 日前

オオタタネコ著ということであれば、大神神社にヲシテ文字が残っているのかにゃ~?御守り開封(反則技)をしたら出てくるのかにゃー…イヤイヤ三輪の神様には怖くてできないわ((( ;゚Д゚)))。祓戸四神のもうお一方、気吹戸主らしきお方もヤマトタケルのご先祖として登場…。で、日本武尊が亡くなられた伊吹山も何気に怖いとこだよねぇ((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル。ぅぅむ、やっぱり謎がさらに深まった(^^;。

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@HAKUBYAKUDAN

2 日前

あー楽しかったぁ〜

お昼休憩の楽しみです。

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@PICA-PYAN

1 日前(編集済み)

先生本日もありがとうございます。

スミマセン 失礼します。

なんか吠えちゃってますので不快になりたくないおかたはスルーしてください

直感的な感想なんですが、ホツマを書いた人は、血統的に記紀の元を知ってるひとですね。

馬がいなかった時代を知らなかった人で、ヤマト王権のかたでしょう。

(ホツマやってるえらいおかたがたは馬の件どう思ってるんでしょ歴史苦手な私さえ疑問に思う。馬の話は封印した方がいいですね)

古事記をつくるのにどうしたんだろ?と調べたら、集めた史料は…全くあたりまえですが、日本全体の範囲ではないですね。

漢字もその頃つくられた、風土記作成はその後に命じられた。

記紀から、時間がたって、現在、富士山周辺の史がない、天照男神説。瀬織津姫封印説、欠史がある、

ネットで調べれば誰でも違和感が募る。またまた正統性を強化する必要がでてる?

文字だけどんなに並べても理詰めで納得する部分大量にあっても、どうしても、どうしても違和感が募ります。

漢字地名の由来話もその頃漢字できてなかったのにって思います。

縄文の人のことを封じないでほしい!縄文の富士山の事までとるな!って何かが訴えてくる感覚がでます。

基本戦えないので奪われますね(笑)縄文って遺伝子からの気質とアミニズムだけに残るのかもな~。

これはいつものごとく超妄想です!。地球が縄文を選ぶなら もぅどうにかなる時でしょう。 

先生! ♡だいきらい♡ ←(云ってみたかっただけcgsのこういう時使うのかな(笑)

20230928pm1時半

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@USER-MT9BN9YK4N

2 日前

アメノミナカヌシの事、ホツマでは、何か書かれてますかね?

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@M58574

2 日前

最近、他のチャンネルで「意富(オオ、オウ、オフ)氏」の存在を知りました。

大田田根子は、古事記では「意富多多泥古命」

伊邪那岐命が投げた桃の名「意富加牟豆美」は人名だった?

意富国主、意富物主、意富山祇、意富山咋?

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@YOUCHANY

2 日前

ふむふむ 次はミカサツタエ ウエツフミ 風土記でしょうか?

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@USER-LD6GQ9KW9W

2 日前

崇神朝と応神朝は、別の王朝ですよね。だから景行天皇と日本武尊で、終わっているんでしょうね。仲哀は明らかに、半島系の王子だし、敦賀から北九州に侵攻した時点で、暗殺されている。そして応神は、仲哀の種ではないから。

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@USER-GN1RI7MP3Y

2 日前

息吹度主は瀬織津姫含む女神三柱と男神の四柱の祓戸大神の大物中の大物を無視したらそら怒られますわ、竹内文書によると武内宿禰命が景行天皇の側近の時にヤマトタケルを働かせ過ぎ、過労死させてしまったと言う話も?国を纏め上げる大事な時期にに武内宿禰命もかなり焦りがあったのかも?

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@USER-UK4NY9FL1G

2 日前

ホツマツタヱについて昭和天皇と近衛文麿は普通に会話していたのでしょうか?

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@USER-LD6GQ9KW9W

2 日前

継体が北陸から招聘されたのも、応神朝のルーツが北陸にあることを示している。

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